myktmanagementのブログ

Hba1c13%超え、体重20Kg減の重症糖尿病を無治療で正常化--->今は、神のみ言葉によって癒やされる日々をおくっています。

オンラインで聖書を読む

mymana


聖書をオンラインで読んで、黙想のためのインスピレーションを得る。


偏向性の少ないサイトを紹介します。


https://www.bible.or.jp/


https://ebible.jp/


https://biblehub.com/

聖書 原初の福音から大団円まで その伏線回収は私達の心を喜びで満たし心をふるわせる

mymana



聖書の中心的なテーマは、創世記から黙示録に至るまで貫かれる「救いの物語」です。


この壮大な物語は、創世記での「原初の福音」と呼ばれる約束から始まります。


創世記3章15節には、アダムとエバの不従順によって罪と死が人類にもたらされた直後に、神が「女の子孫が蛇の頭を砕く」と宣言される場面があります。


これは、イエス・キリストを通じた最終的な勝利と救いの予告であり、神の救いの計画がすでに人類の背信の瞬間から始まっていたことを示しています。


この「原初の福音」は聖書全体の伏線として機能し、その回収は新約聖書でのイエス・キリストの到来、贖いとしての意味を持つ死、そして復活によって劇的に果たされます。


特に黙示録では、人々のすべての涙が拭われ、完全な平和と喜びに至る「大団円」のビジョンが描かれています(黙示録21:4)。


この結末は、神が最初から計画しておられた「新しい天と新しい地」(イザヤ65:17,イザヤ66:22,黙示録21:1)の到来を示すものであり、創造の最初の意図が完全に成就する瞬間です。


ここで注目すべきは、神の知恵の測りがたい奥深さです。(ローマ11:33)


エペソ人への手紙1章9-10節には、「神は、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、あらかじめご自身のうちにおいて定められた計画であり、時が満ちるに及んで、天にあ


るもの、地にあるものを一つにまとめ、キリストにあって完成されるのです」と書かれています。


神の計画は、私たちの理解をはるかに超えたものであり、その中に私たちの救いだけでなく、すべての被造物が回復される壮大なビジョンが含まれています。


この物語が私たちに感動を与えるのは、単に劇的な展開や希望に満ちた結末があるからではありません。


それは、神がすべての人一人ひとりを愛しておられること、そしてイエス・キリストを信じる者を救いの計画に参与させてくださるという驚くべき真実に根ざしているからです。


創世記の「原初の福音」から黙示録の「大団円」に至るまで、神の知恵と愛の物語は、私たちの心を喜びで満たし、人生に深い意味を与えます。


神のみ言葉である聖書を通して「神の知恵と知識の富の」「奥深さ」、「そのみこころの奥義を知り」、この壮大な物語に私たち自身が加えられていることを確信するなら、私たちは神への深い感謝と希望


に包まれるでしょう。

    「何を着たら良いのだろう」

mymana

 「神は、アダムとその妻のために、皮の衣服を作り彼らに着せてくださった。」              


---今日の黙想---

   

 「何を着たら良いのだろう」



衣服や服装は、単なる機能的なアイテム以上のものです。それは文化、アイデンティティ、社会的地位を反映し、時には国民性や職業の違いを明確に示します。


まず、国や地域ごとの服装の違いについて考えてみましょう。例えば、日本の伝統的な和服は、四季や祭りに応じた色や柄が特徴的です。一方、アフリカの一部


の地域では、カラフルなキテンゲやバティックが広く用いられ、その土地の歴史や文化を表現しています。これらの服装は、単に見た目の違いだけでなく、それぞ


れの文化や価値観を伝える重要な手段となっています。


次に、服装は社会的地位や職業を示す要素としても機能します。たとえば、スーツを着たビジネスマンと、作業着を着た工場労働者では、視覚的に異なる印象を与


えます。医療現場では白衣が専門職の象徴となり、制服があることで職業の認識が強まります。こうした服装は、職業の役割や責任感を強調し、周囲の人々に信頼


感を与えることもあります。


さらに、近年ではファッションが自己表現の手段として重要視されています。特に若者の間では、ストリートファッションやサステナブルなファッションが流行し


ており、これらは個々の価値観や社会へのメッセージを発信する手段となっています。




ところで、人間の歴史の中で最初に衣服が登場するのはいつでしょうか。


人間の歴史の中で最初に衣服が登場するのは、人間の最初の夫婦が不従順の罪を犯して、神の園の外に出されるときです。


ひとつはアダムとエバが自分たちでつくった腰の覆いと、もうひとつは神が彼らに贈られた長い皮の衣です。



創世記3章


6節 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。


7節 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った


アダムとエバが不従順の罪を犯して、裸の恥をさらしていることを「教え」られたとき、


その恥を覆うため自分たちで「いちじくの葉をつなぎ合わせて腰を覆いました。」


腰を覆っただけのものとはいえ、服といえるのかもしれません。



創世記3章


21節  神は、アダムとその妻のために、皮の衣服を作り彼らに着せてくださった。


神は、彼らの必死に取り繕ったその姿をみて、非常に「哀れ」に思われ、動物を犠牲にして長い皮の衣をつくって彼らに着せてくださいました。


神のもたれる深い憐れみのご性質がわかります。アダムとエバに贈られた皮の衣は神の憐れみのしるしです。


それでも、神のもたれる強い公正さというご性質から罪が許されるわけではありません。


彼らは神の園の外にだされ、「彼らのゆえに」「呪われた」地で自分たちの選択が招いた死という結果を刈り取ることになります。(創世記3:17)


以来、人は皆どんなに外見を取り繕うとも、呪われた世界で自分たちの罪の恥を晒し続けるみじめで哀れな存在です。



ヨハネの黙示録3章


17節  あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言っているが、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。



              

 「何を着たらよいのだろう」マタイによる福音書6:25

              


マタイによる福音書6章


28節  なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。


29節  しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。


30節  今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。ましてや、あなたがたにはどれほどのことをしてくださるでしょう、信仰の薄い者たちよ。



 「自分の衣を子羊の血で洗って白くする」ヨハネの黙示録7:14

              


ヨハネの黙示録22章


14節  自分の衣を洗う者たちは、さいわいである。いのちの木にあずかる特権を与えられたので、門をとおって都にはいることができるようになった。

              

         

ヨハネの黙示録7章


13節  長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。


14節  そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。


15節  だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。



イザヤ書1章


18節 「さあ、来なさい。どうしたらよいかを論じ合おう。たとえあなたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くされる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のように白くされる」



イエスの尊い贖いの血にこそ、罪の許しを得る完全な効力があります。


アダムとエバに贈られた動物を犠牲にしてつくられた皮の衣よりも、さらに勝ったイエス・キリストの犠牲で織りなされ、


その尊い贖いの血で洗われたこの霊的な清い衣はわたしたちの罪の恥を完全に覆ってくれるものです。


わたしたちが神のみ前で、自分の罪にうちひしがれてその心をさらけ出し、イエスへの信仰を告白するとき、神はその霊的な衣でそっとやさしく覆ってくださり、


わたしたちに許しと慰めをあたえてくださいます。


そして、わたしたちを生きるに値する者、永遠の命を与えるにふさわしい者としてご自分のもとに迎えいれてくださいます。



 「神はこのように装ってくださる。ましてや、あなたがたにはどれほどのことをしてくださるでしょう」マタイ6章30節