myktmanagementのブログ

糖尿病-これから適時、自分の血糖値をモニターします。

1年半後の血糖値

一度、このブログの終了宣言をしたのですが、
現状報告など兼ねて少し書き加えることにしました。


前回の投稿から、もう1年半以上経過したことになります。
あのときはコロナ騒動真最中でした。まだ余波は残っているようです。
今は実生活も異常な物価高が続いているので、余裕のない厳しい生活を強いられています。


さて糖尿病の経過の方ですが、現在、糖尿病とそれに関わる合併症の治療や服薬などは
一切しておりません。
このあたりは前回、最後に書いたように自身の年齢的なものもあって、もう良いのだとの諦念もあります。
ただ、病院で2ヶ月に一度Hba1cの検査を定期的にしてもらっていたので、今は
薬局で薬剤師にセルフ測定というのをお願いして検査してもらうことはやっています。


食事は、糖質制限などはせず米飯も満足するまで食べています。
甘味物もアルコールも節度をもって摂り入れています。
運動は取り立てて、ここに書けるようなことは何もしていません。
たまに買い物で少し歩く程度で、又まれに隣町の見晴らしのいい高台にある公立美術館の
広い庭園を散歩するくらいです。


Hba1cは、この1年半の間、高いときで5.9%ありましたが、毎回5%台でした。
この数値がいいのか悪いのかもどうでも良いように思います。
数字よりも、高血糖状態のときよりも体調や体感がぜんぜん良いので、2ヶ月ごとの
セルフ測定も卒業しようかと考えています。


次の投稿で、血糖値500-Hba1c13%以上の重症糖尿病が発覚したときのわたしの自覚症状について書きます。


血糖値500ヘモグロビンHba1c13%超過から正常化までの道のり

現状、投薬なし、厳密には3週間ほどで服薬は自己判断で完全に中止した。
糖尿病診断確定時から、半年でHba1cは、なんとか正常域まで戻した。


これまでの経過を思い返します。
体調不良で血液検査をしてもらったが、診断結果を聞かずに、
2ヶ月以上放置し、再度、受診し糖尿病との診断がおりた。
当初、病院で週一で測っていただいて、
わかっている血糖値の最高値は500ほどであった。


高血糖状態が続いた時期の自覚症状にはさまざまなものがあったが、
とくに体重減少に関しては3年ほど前から徐々にやせ、
当初は体重が減って血圧の負荷が軽減されたからか、むしろ体が
軽くなり好調さを感じることができるほどだった。
ときどき、機能性低血糖とおぼしき症状がでていたが、過食するとおさまった。


10年来、健康診断は1度も受けたことはなく、
糖尿病のなんたるかに関してまったく無知であった。
糖尿診断を下され説明を受けた時は、入院は回避したが、
まあなんと厄介な病気かと思い、処方された薬は3週間ほど飲んだ。
出された3種類の薬の作用機序はまったく謎だったが、
繊維質の多い野菜の代用、利尿効果のあるお茶やコーヒーなどの代用だと感じた。
飲んだ薬と比較したときの体感がまったく同じだったからである。
ジャヌビアの作用機序と体感だけはまったくわからなかったが…


いま血糖値は正常域に戻ったが、高血糖状態の期間が長く続き、
胃腸神経や目や頭に、また大動脈にも後遺症は残っているように感じる。
合併症に関しては、まったく受診していない。
人生も折り返しに入った今、私個人としては、
糖尿病やその合併症と終わりが見えなくなるような格闘をする必要はないのだと感じている。
ただ、慎ましい生活と自制だけは保ちたい。



糖尿病診断確定からヘモグロビンHba1c正常化までの半年間のチャートグラフ




血糖値の自己モニタリングは本日で終了します。
このブログも、これを以って閉局とさせていただきます。
お目汚し陳謝いたします。
ありがとうございました。

今日の血糖値


当初最大で13%以上だったHba1cは半年ほどで6.5%まで下がった。
服薬は2週間ほどで自己判断で完全にやめた。
いろいろな人の体験談を見聞きすると、Hba1cがかなり高かった人でも糖尿病を自覚し、
食事に気を使うだけでも劇的に血糖値だけは安定してくる。そういう人は結構いるようだ。
ただ高血糖の後遺症の自覚症状は依然として肉体の刺として意識させられる時はある。
それでも過度に思いわずらって囚われすぎては、その方が骨の腐れになりかねないと気持ちを切り替えるようにしている。




今日の黙想


ヨハネの黙示録22:1-3,17
天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せてくれた。
川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木がある。
その木は年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。
その木の葉は諸国の民の病を治す。
のろわるべきものは、もはや何ひとつない。

渇いている者はここに来なさい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。




夜、床に入って眠る前に自律神経を整え、リラックスするためにヨハネが見せられたこの絵画的な幻をイメージするのが習慣となった。